大分県の大名といえば、大友宗麟です。
ところが、大分では有名でも中央では全くの無名です。
それは、戦国大名としては、早くに家が途絶えてしまったからです。
関が原の戦いぐらいまで大名でいれば、もっとその名前は歴史に残ったかも知れません。
歴史の教科書では、クリスチャン大名として少し名前が出るだけです。
戦国大名として、もっと大分県が有名になるとしたら、黒田如水の九州での挙兵が成功していたらです。
黒田官兵衛、黒田長政の黒田家。
黒田家といえば、大分中津藩と言うより、発祥の地、播磨と長政が大名になった福岡です。つまり大分県ではありません。
歴史にもしが許されるなら、
もし、関ヶ原の戦いが一日で終わらず、2,3ヶ月続いていたら、黒田如水の天下があったかも知れません。
それぐらいの九州挙兵でした。
その当時、唯一無二の軍師として天下に名前が通っていた黒田如水。
関ヶ原で東西の勢力が拮抗していたら、九州の雄になっていたであろう黒田如水の力は甚大です。
そして、なびいていく勢力が多くあったと思います。
彼の人生で最初で最後の自身の天下取り。
それは、あっけなく終わります。
終わらなかったら、大分県はもっともっと有名になっていたと思います。
残念だなあ。